夢見がち

自分の記録用です。

きっかけ。

久しぶりの投稿です。私の個人的なことについて今回は書きたいと思います。私が唯一、鮮明に記憶しており、私が、戦争について学びたいと思うようになったきっかけについて書きたいと思います。自己満足な記録用ですし、不慣れであるため、読みづらいかもしれませんが、時間がある方読んでくださると嬉しいです。

 

  元々、幼い頃から、原爆などの戦争の話にすごく興味があり、今まで、そういった授業なども普段の私からは想像ができないくらい、集中して受けておりました。

  当時の写真や、目を覆いたくなると言われる映像も食い入るように見ておりました。その影響もあってか、小学4年生の時に訪れた広島の原爆資料館では、グループ行動ではないことを良いことに、非常にゆっくり回り、資料館を出る生徒は私が最後でした。

  幼いながらも、何故こういうことが起きたのか。何がこんなにも人を悲しませることを引き起こしたのか。など、考えてたのを覚えてます。

   そして、その後、平和公園で友達と遊んでた時に1人のお婆さんと出会いました。

   そのお婆さんは、1人でポツンと公園の木陰のベンチに座ってました。私は、そのお婆さんに引き寄せられたかのように、側に行き、気がついたら声をかけていました。「お婆さん、何してるの?」と。何処から来たのかわからない小学生が突然話しかけたのにも関わらず、お婆さんは笑顔で「日向ぼっこよ。」と答えてくれました。今思えば、お婆さんの優しさに感謝しかありません。そして、話していくうちに、仲良くなり、私はお婆さんにあることを尋ねました。

「お婆さんはここに何をしに来たの?」と。

するとお婆さんは「ここにね、主人の名前が書いてある石像があるの。だから、主人に逢いに来たの。」と答えてくれました。物を知らない私は、どういうことかわからず、聞き返しました。「その人は今、何処にいるの?」と。今思えば、無知とは言え、失礼すぎる質問だったように思います。それでも優しいお婆さんは、「お空の上にいるのよ。」と笑って答えてくれました。そこから、お婆さんの旦那さんの話を聞いてました。

  そして、話の最後にお婆さんが、「私にもね、お嬢ちゃんくらいの孫がいるのだけれど、ここに来ると、やっぱり逢いたくなるわね…」と空を見つめながら言いました。その瞬間、木に止まっていた鳩が、お婆さんのスカートに糞をしたのです。驚いた私は、持っていたポケットティッシュを全部お婆さんにあげて、鳩に向かって怒っていたのを覚えてます。 そんな私を見たお婆さんが笑いながら、言った一言は今も忘れません。

 

    私を見てお婆さんは「お嬢ちゃん、面白い子ね。きっと、あの鳩は、主人の生まれ変わりなのかも。逢いに来るのはまだ早いぞって私のこと叱りに来たのかもね。何言ってんだーって。ふふ。でも、こんなことで笑えるって、今って平和ねぇ…」あの時、私は自分の体に衝撃が走ったように感じました。

   平和って何?何を平和って言うの?と、帰りのバスでもずっとモヤモヤ考えてました。

   私はお婆さんからのその一言に何も言えないまま、先生に、人様に迷惑をかけるんじゃないと怒られてお婆さんと離されてしまったのですが…

   この出来事が大きなきっかけとなり、現在の戦争について学びたい欲を生み、勉強に励みとなっております。

 

  まとまりのない文章でごめんなさい。自己満足な語り口調となり、恥ずかしい限りですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

終戦記念日

日本の戦争が終わった日。

一つの視点では日本が負けた日。

また別の視点では日本に勝った日。

様々な視点から見るこの日。

私は純粋に、国同士の戦争が終わりと言われた日として見たい。

ただ、この日は、昭和天皇が終わりましたと告げた日であって、人々の戦争が終わった訳ではないと思う。

現に後に海外から、何年も経った後からずっと国のためと戦っていた人が発見されたりしている。終わってない。単に殺し合いをやめただけであって、戦いが終わったわけでないと思う。

 

世の中には様々な考え方がある。宗教も違う。言語も違う。それは人それぞれであると思う。違うことに善悪は存在しないと思う。

これこそ、金子みすゞさんが残した詩の中の

「みんな違って みんないい」ではないだろうか。

8月6日(日曜日)

1945年の8月6日から72年経った。

まだたったの72年。

私が生まれた時でさえ51年しか経っていない。

決して風化して欲しいわけじゃないけれど、72年で街は変貌しているのがどこか寂しく、人々の努力の結晶であると思えば、とても誇らしく思える。これに関しては、いつも考えがまとまらない。

 

今年も暑い、とても暑い8月6日だった。

暑いからこそ、いつも思うことがある。

午前8時15分に爆弾が落とされ、信じられないほどの熱い思いをしてもなお、日光と言う暑さに、苦しんだのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。残酷だと思う。やり切れない思いがある。でもこれは、経験してない私だからこそ言えることなのかもしれない。

 

午後、映画「この世界の片隅に」を観に行った。席はほぼ満席だった。この作品は元々、中学生くらいのころに原作である、漫画を読んでいた。ずっと頭の中にある話だったから、映画化すると聞いて、驚いたのを覚えている。

去年はドラマ化された。映画を観終えて、やっと全部観れたと思った。

 

全部観終えて、やはり私は、原作が1番好きだと思った。映画やドラマだと内容が削られてしまう部分が多い。ドラマではこの部分が無いのか…映画ではあの部分が無いのか…と、やはり原作を知っている分、どこか寂しい。

けれど、どれも、伝えたい内容は共通していた。伝えたいものが伝わればいいのかもしれない。誰かの記憶の片隅にそれが残ればいいのかもしれない。

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8月5日(土曜日)

落ち着いたので、記録しようと思う。

少しずつ内容を増やして参ります。

8月5日(土曜日)

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午前中の用事を済ませ、その足で平和公園に行った。原爆ドームまで1度も立ち止まることなく一直線に歩き、原爆ドームのところで足を止めた。72年前の今日、翌日に誰も想像し得なかったことが起こることなど知らず過ごしていた人々を思い、手を合わせた。なぜか涙が次々と頬を伝いこぼれていった。いつもより思いが強く溢れてきて、苦しくなった。

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涙を拭い、元安橋へと向かった。元安橋の歩道は全国から集まったデモ行進の人で埋まっていた。通れないほどである。思いを主張するのは良い事だと思うが、道を塞ぐのはどうかと思った。私は身を反転させ、相生橋の方から、佐々木貞子さんがモデルとなった原爆の子の像の元へ向かった。

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原爆の子の像の元へ辿り着いた。広島の大学生らしき人が、県外の大学生らしき人達に一生懸命説明をしていた。一生懸命メモを取ってる姿を見て、同い年くらいである私が何故か嬉しくなった。しばらく原爆の子の像を遠くから眺めていた。すると不思議なことを発見した。記念撮影をしている日本人は写る際に笑顔にしない。外国人は笑っていることが多い。これに対して善し悪しはないと思う。ただ、少なからず、感じ方の差であるとは思った。手を合わせ、私は足を原爆資料館の方へと向けた。

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小学4年の遠足以来の11年ぶりに原爆資料館を訪れた。久々に訪れたが、入る前はとても緊張した。以前の記憶が曖昧過ぎたからだ。 入ってみれば自然と足が動いた。今回は気になるもの、目に止まるもののみを見ることにした。次来た時にじっくりメモを取りながら勉強しに来ようと思ったのだ。それでも休日であり、明日が8月6日だからなのか、人が多かった。

1部が工事中であるため、見れるところは少なかったが、見どころは満載だった。素晴らしいと思った。途中、展示物を見ていた外国人女性とすれ違った。涙を流していた。日本人だけでなく、外国人にも伝わっているのだと思うと、心臓の鼓動が急に早くなった気がした。心に響くってこういうことなんだと目の当たりにしたように思う。

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最後に少し戻り、慰霊碑に挨拶をした。

人が多かったので、横の方で手を合わせた。

慰霊碑の奥には、原爆ドーム原爆の子の像、が見える。平和公園は忘れかける記憶を呼び戻す。物事を深く考えさせる。そんな場所だと私は思う。

スタート

ずっと考えてた、やろうと思ってたことを始めようと思う。

 

まずは自分の見つめ直しっていうとこからになるけれど

やりたいことをやるには周りを納得させる力を得なければならない。

成長って言葉に縛られてた。

伸び伸びとやればいい。

 

思ったことを行動に移す。

これ。1番最初にこれ。

わたしにとっては大きな課題。

 

課題と向き合いながら少しずつやって行こう。

変わる意識を持ち、変わる努力をする。

 

スタート。

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